アトランタで黒人のおばさんにありえない絡み方をされた話(1/2話)
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久々に海外放浪話の続きを。これはアメリカのアトランタってところに行った時の話。
例のグレイハンドバスでナシュビルからアトランタ駅に着いたのはある日の朝。
アトランタに来た理由は、僕がこの日にザリガニさんとアトランタのバス停で待ち合わせをしていたからだった。ワシントンD.Cを二人で訪れた後、2週間ほど別行動をすることになっていたので、僕らは10日ほどの間だけそれぞれ単独で移動していたのである。
この10日間、僕はラスベガスで一日にして失った10万円を取り戻すべく極貧生活を送っていた。まず、宿にはほぼ泊まることはなくできるだけ深夜バスで寝るようにしていた。食費も1日1000円に抑えていた。それ以下の時もあった。アメリカを出てメキシコに行くまではとことん節約しないと、それだけ先の旅費に影響するとわかっていたからである。
ようやくザリガニさんと再会してメキシコ行きの便が出るマイアミへと向かう目処がたったのは良かったのだけど、ひとつだけ問題があった。
一昨日にダラスをさまよっていた時、たまたまWiFiに接続できたのでノートパソコンでメールを開いたら、知らないアドレスからメールが届いていた。
開いてみると、
「いまロサンゼルスです。グレイハンドバスの便がうまくとれず到着が遅れて◯日の10時になります。すみません。ザリガニより。」とのこと。
ザリガニさんがロスで宿泊している宿のパソコンを使ってメールしてきていたのである。要は到着が予定より2日くらい遅れるという連絡だった。
この時なぜ彼がロスにいたか?それは我々が別行動を始めた際、彼は信じられないことにサンフランシスコに友達が旅行に来ているというたったそれだけの理由でド東海岸のワシントンD.C.から彼方ド西海岸までバスで戻っていったのだった。簡単に聞こえるけどこれアメリカ横断しますからね。4000キロありますからね。ちなみに日本の全長さえ3000キロなのに。ひたすらバスに乗り続けて片道3日はかかる距離です。
西海岸までアメリカ大陸を横断して戻ると聞いた時はとんでもないアホだと思いましたね。
まぁそこは本人の自由。でもそんなチャレンジングなことしてるわけだから到着も遅れちゃったという始末。まあそこも良い。百歩譲って。
ただ気になったのは、
その10時って朝なのか夜なのかどっちよ?ってこと。
もちろんその通りにすぐに返信した。しかし彼は連絡手段を持っていなかったため、結局僕がアトランタに着いた時にもなんの音沙汰もなかった。そしてもうすぐ朝の10時を迎えようとしている。まあ落ち着け、自分。普通は午前も午後もなく10時って書かれたら朝10時のことだよね。夜のことなら22時って書くもんね。
余計な心配をしたことを後悔しながらグレイハウンドのバス停で待っているとようやく朝の10時を回った。ようやく来たか。僕は彼がバスから降りてきたらわかるようにバスの到着所を眺めていた。
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そして、ザリガニさんは現れなかった。
うおおおおおーーーい!
10時って夜の22時のことかよ!!!!
と僕は知るのであった。まじであってはいけないことが起こってしまった。
言っておくけど、僕がやっていたのは夏休みのアメリカ観光旅行ではない。ただのバックパッカー、つまり貧乏な放浪者。もう、ホームレスみたいなもんである。20キロを超える荷物を背負いながら、アトランタのオリンピック記念館で高い金を払ってはしゃぐなんてことはできないし、するつもりもない。
というわけで真夏のアトランタで12時間も野外で待つ羽目になった。
しかたなくバス停を出て、あてもなくアトランタの街を歩いてみた。でもアトランタってニューヨークみたいに街が密集しているわけでもないただのだだっ広い街。面白いものなんて何にも無い。
おまけに地図も無い。というかもう暑すぎてあっちこっちと探しながら観光する気力もなかった。無駄に方位磁石を持っていたので、バス停の方向だけはわかるように徒歩圏内で街を散策する。
そうこうしているうちに陽が昇って来てさらにさらに気温が上がる。もう暑いし腹減ったしでもはや絶望感でいっぱいになったので結局散策は諦めて木陰で休憩。そこらでマウンテンデューを一本買って、バックパックに入ってたリンゴを食べる。
もはやグレイハウンドのバス停がある建物で待っていたほうが、まだ暑さをしのげる。と思ったので、ちょくちょく休憩しながら少しずつ歩いてバス停方面へ戻った。
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ようやくバス停周辺に戻ってきた頃にはすでに午後15時あたりを回っていた気がする。やっとここまで戻って来れたわー。と思いながら歩いていると、目の前にすごい光景が飛んで来た。
なにやら知らんけど、駅近くのロータリーのベンチに数十人の黒人達がたむろってダベっているではありませんか。もう何ていうか、遠目からみるとエリア一面黒くなっちゃてるくらい。 アトランタって黒人の街なの?
こいつはアカン、あそこ通ったら絶対絡まれる。
と本能で感じたので、急遽、脇道に逸れて歩くことにした。
脇道を歩きながらなおバス停方面に向かって歩いていると、後に気配を感じたのでふと見てみると、今度はキョーレツな雰囲気を醸し出した巨体の黒人のおばさんが現れた。
だいぶ違うけどフォルムはこんな感じ。歩くだけでハアハア吐息が聞こえちゃうレベルの人ね。
そして振り向いて目が合った途端におばさんが話しかけてきた。
僕になんの用があるはずもないのになにやらペラペラと話を続けてくるのだが、悲しいことにおばさんが何を言ってるのかがさっぱりわからない。あれ?スワヒリ語かなんかしゃべってる?
この時の自分は英語なんてほぼ話せないに等しかったが、曲がりなりにも人並みに勉強して大学生をやっていたわけで、ここまで相手の英語がわからないことは初めてだった。いま思えば、おそらくコテコテの黒人訛りの英語だったんだろう。
おばさんが何言ってるかさっぱりわからなかったけど、なんとなく分かってる風に合わせた。どうせ大した話じゃないだろうし。
「YES, YES」とかテキトーにうなずいたりしてみてね。日本人が外国人に対してよくやる典型的なやつである。でもアレって仕方ないよね。そもそもアメリカ人みたいなネイティブってこっちが英語分かって当然みたいに思ってるから「相手がわかりやすいように」話す工夫をか全くない。なんでゆっくりしゃべるとかしないんだろうね?もしかしてバカなのかな?
っとまあ心ない事を考えていたわけなのだが、実はこの直後、最もバカなのは自分自身であったということ思い知るのであった。
つづく...
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※この話は、僕の若かりし頃の海外放浪経験を面白おかしく語る連載記事です。
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