フィリピン人直伝。即席パンシットカントンの正しい作り方
最初にこの記事が誰の役に立つのかだけはっきりさせておきます。
この記事を読んでトクするのはこんな人
- これからフィリピンに行く予定のある人
- フィリピンパブで女の子と話すネタが欲しい人
- 日本のカップ麺に飽きてきた人
- ヒマな人
ここに該当しない人には全く得しないので予めご了承ください。
パンシットカントンとは何か?
フィリピンのローカルフード、Pancit Canton(パンシットカントン)を知ってる人は少ないという自信があります。要はフィリピンの焼きそばみたいなものなのですが、現地のレストランでは当たり前のように出てくるフィリピンの国民食。日本の焼きそばからソースを取り除いてフィリピン風に勝手に味付けした感じのもので僕は嫌いです。
でも、インスタント麺として売られている方のパンシットカントンは全く別の代物で、結構イケるのです。
こちらがインスタントのパンシットカントン。栄養がゼロなのに塩分MAXみたいなかなりの超ジャンキーフードですが、小腹が空いた時に食べるとちょうど良いんです。
写真のように味が何種類も揃っていますが、どれを食べてもたいして味の違いがわからないフィリピンのクオリティ。見ての通り化学調味料が贅沢に使われた不健康食品です。価格は1袋8ペソ(約20円)と激安。フィリピン人はこれが大好きで、日本人でいうカップラーメン感覚で食べていますね。
日本では超レアな食べ物なので、これまで輸入品売り場でも一度も見つけた事はありません。アマゾンでは手に入るので一生に一度くらい食べてみても損はしないと思いますよ。
LUCKY ME! PANCIT CANTON CHILIMANSI インスタント パンシットカントン(焼きそば) チリマンシー味 60g 10個セット
今回はこの「ただでさえ無名なフィリピンのローカルフードであるパンシットカントンの、さらにインスタント食品のほうの正しい作り方」をお伝えすることにしますね。
パンシットカントンの正しい作り方手順
1. アマゾンで買うなりフィリピンに行くなりして、まずはインスタントのパンシットカントンを用意します。
写真のパッケージにアラビア語が書いてあるのはご放念ください。この時にたまたま中東にいただけです。中身はまさにフィリピンで売ってるものと同じ。出稼ぎフィリピン人は世界中にいますからね。
※フィリピンという国がどれだけ多くの海外出稼ぎ労働者で成り立っているかを知らない方はこちらの記事をどうぞ。
ていうか、なに袋にいれちゃってんの?
すでに違和感を感じている人もいるかもしれませんが、そもそもインスタント焼きそばがなぜ袋に入って売られているのか?カップはどうしたと。湯切りができないぞと。
もし日本でペヤングや一平ちゃんが袋で売られてたらイラッとしませんか?
しかし常夏天国ストレスフリー社会で生きるフィリピン人にそんな悩みはありません。
2. ケトルを用意してお湯を沸かします。
3. 麺を袋から取り出します。
見るからにケミカルな調味料(粉とオイル)が入ってます。
※注意点
フィリピンで売っている食品は包装が激甘です。例えばこのパンシットカントンを買うと包装に穴が空いていることがあり、食べずに保管しておくとアリが大量に入り込んでることもあります。しかし常夏ココナッツオイル天国育ちのフィリピン人ですから、そんな時もアリを振り払ってしれっと食べます。大丈夫です。僕も食べました。
4. 思い切って麺を真っ二つにします。
5. 沸騰したケトルの湯に麺を思い切ってぶち込みます。
気分的に落ち着かなければここで再度ケトルのスイッチを入れて沸かせましょう。お好みで1〜3分ほど待てば良いころです。麺の固さが変わるだけなのでご自由にどうぞ。
6. 湯切りをします。
これが今回ケトルを使う最大の理由です。写真のようにいい感じに湯切りができます。
7. 容器に移します。
8. 調味料を入れて混ぜて、いただきます。
以上、すごく簡単です。いかがでしたか?
ちなみにここまで僕は全くふざけていません。フィリピン人がこぞってガチでやってる手法です。
この作り方の最大の難点
お分りだと思いますが、一度でもこの方法でパンシットカントンを作るとケトルの中は当然油でギットギトになります。
僕がフィリピンに働いていた時、オフィスのケトルでコーヒーを作るといつも豚骨ラーメンみたいに油が浮いていました。
こちらを試される方は、あくまでもケトルを一台犠牲にする覚悟でやってくださいね。
*この記事は2017/10/17にリライトしました。
サンフランシスコまでの道のりが世知辛かったという話。
※最終更新2018年3月1日
前回の話を読んでない方はこちらからどうぞ。
成田空港についた時には、飛行機の出発時間まで2時間をきっていた。何よりも急いでチェックインする。
空港には大学の友人たちが見送りに来てくれた。わざわざ来てくれたことに申し訳なく思いながらも嬉しかった。僕ができることは帰ってきてからの土産話くらいのもんだ。あらためて人に話せる良い旅にしようと思った。
ギリギリの時間まで友人らと話し、いよいよ別れを告げてザリガニさんと出発ゲートへ。もう搭乗時間も始まっているので荷物検査も早足に。そんな時に限って止められる。空港職員に止められる。
空港職員:「すみませんが、靴脱いでください。」
僕:「え、靴ですか?何もないですよ?」
空港職員:「お願いします。」
イラッとしたけどおとなしく靴を脱いだ。
空港職員:「はい大丈夫です。ありがとうございました。」
いや、知ってるわ、なんもないわ。こんなピッタピタのアディダスはスーパースターのスニーカーに一体何を忍びこませられるのか?覚せい剤1グラムとか?臭くなるわ。
今時お巡りさんだって人の荷物を見る時は、「アブナイもん持ってないよねぇ?」くらい言ってくれるのに、空港職員のこの淡々と仕事してくる感じは何?
こいつら礼儀ってモンを知らなぇ。
荷物検査を切り抜け、もはや先ほど友人らと別れを惜しんだ時のセンチメンタルな気持ちさえも冷めかけていた時、横にいたザリガニさんがおもむろにムダ口をたたいた。
ザ:「あのさ、おたくの大学のお友達はなんで泣いてたんすか?」
... 。ザリガニさん、アンタにはわからないんだね。感情面とかいろいろ欠落してるアンタにはね。
ザリガニさんの共感力のなさを残念に思いながら機内に乗り込んだ。ただ、ここでも一つ問題があった。アメリカはサンフランシスコまでの約10時間にわたる長時間フライト、僕とザリガニさんはこれでもかと言うくらい席が離れてしまっている。これでは到着後の予定も立てられたもんじゃない。
そういえば、さっき友人のヨシアキが言っていた。飛行機の席って横の人にお願いすればだいたいみんな席代わってくれるよって。帰国子女のあいつの言葉を信じてみることにした。
幸い僕の席の通路側の席には日本人のお兄さんが座っていた。ストールなんか首に巻いちゃってなんかスカしてちゃって何のつもりだろう。ちょうどザリガニさんも通路席に座っているようなので、これなら代わりもないし大丈夫でしょ。僕が頼まれたとしてもそれくらいは代わってあげる。
僕:「すみません。」
ストール:「はい?」
僕:「友人と乗ってるんですけど席かわってもらえませんか?」
ストール:「すみません。この席選んでとってるんで。」
僕:「一応あちらの席も通路側なんですよ。なんで、」
ストール:「ごめんなさい。」
このクソジャップが!!それからこいつとはアメリカにつくまでの10時間一言も話さないことに決めた。
遠くにいるザリガニさんへ席はダメだったというサインを送りながら、ヨシアキを恨んだ。昔っから、帰国子女の言うことだけはマジであてにならない。
飛行機は離陸し、いよいよアメリカへと飛び立った感がでてきた。到着後の細かい旅程も組みたかったが、昨夜からの準備の疲れもあり気づけば寝てしまっていた。
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エコノミー席は狭い。エコノミー席は苦行だ。それにはみんな気づいている。そしてみんなその苦を受け入れ、我慢している。ただ、僕の前の席の性格の悪そうなオッサンだけは違った。座席を5割方後ろに倒してビールを飲みながら横の男とガハガハ騒いでいる。これじゃあ僕の席のスクリーンが変な角度を向いてしまって映画もまともに見れない。イラっとしたが我慢した。どうせ寝てればいいやと思った。
やがて機内食の時間が来た。食べていると、今度は8割分にして倒してきた。おかげで僕のビーフ弁当がズザザッってなった。僕は体を乗り出してそのオッサンに話しかけた。
僕:「狭いんですけどもうちょい考えて座席倒せません? 」
オッサン:「え〜。そんな倒してるかなぁ? 」
この酔っ払いめが。どうみたって8割方倒してるだろが。
僕:「倒してるから言ってんすよ。」
オッサンはムスっとしながら黙って席の角度をほんの少しだけ戻した。
果たしてオッサンが図々しいのか、自分の心が狭いのか。よくわからなかったが、とりあえず僕は一連の世知辛さにイライラした。なのでもう、ふて寝した。起きる頃にはもう着いている頃だろう。
つづく...
*次の話はこちら。
世界の旅にでる準備はテキトーに済ました。
前回の話を読んでいない方はこちらからどうぞ。
必要な旅行資金はすぐに確保できた。貯金は世界一周航空券代でぶっ飛んだが、これから入るバイト代はそこそこ見込めたし、親にもお金を借りた。金を借りる条件は、帰国後の学費を自分で払うこと。自慢じゃないが僕は借金のプロフェッショナルだ。(←やっぱりクズ。)帰ってきたら低利率の奨学金か学生ローンででも借りかえて、また鬼シフトでバイトすれば1年分の学費ぐらいなんてことはない。
その頃、僕が昼間は本屋に夜は居酒屋で毎日15時間も汗水流して働いている間、ザリガニさんといえばパソコンの修理屋でぬくぬくと座りながらバイトをしていた。そしてバイト先から何やら訳のわからない部品をかっさらってきてはヤフオクで売って旅行資金を確保していたようだ。どこのどいつがあんなペラッペラのゴミみたいな部品を買うのか理解できなかったが、不器用な僕には真似のできない見事な芸当であった。
いよいよ出発が近づいてきたという頃、またザリガニさんと二人で会った。今日はバックパックを買いに行く事になっていた。
僕:「いよいよ、ですね。」
ザ:「そうですね。楽しみですね。」
僕のバックパックはネットで注文したブラックのMountaindaxだった。ザリガニさんは原宿のMILLETでグリーンのバックパックを手に入れた。帰りに渋谷の東急ハンズで、電圧変換アダプター、コンセントプラグ、セーフティポーチなどの長期旅行の必需品を揃えた。これで準備は万端。あとは出発日を待つだけだ。
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出発日前夜から、友人たちは僕らのために協力してくれた。ザリガニさんの家に集合することになっていたのだが、ザリガニさんの家までは地元友達のヤスシが僕を車で送ってくれる。そして明日の朝6時にはザリガニさんの大学の友達であるリョウくんが迎えに来て空港まで送ってくれる。僕ははちきれそうなくらいMountaindaxとGregoryのミニバックパックに夜な夜な荷物をパッキングして、ヤスシもそれに付き合ってくれた。思ったより時間がかかり、結局ザリガニさんの家に着いたのは午前3時くらいだった。
ザリガニさんの家に着いた時、僕とヤスシは驚愕した。ザリガニさんはまだ1ミリ足りとも準備をせずにパンツ一丁で音楽を流しながらネットサーフィン(旅行とは無関係)をしていたのである。やべぇよ、この人やっぱ頭ヤベェ。
僕:「ザリガニさん、優先順位って言葉知っていますか?」
ザ:「お待ちしてましたよ〜。なかなか進まなくてですねぇ、精神を統一してたんですよ。あっ、パッキング手伝ってもらえます?」
ザリガニさんのクズっぷりはひとまず置いといて、2人でパッキングを手伝った。彼は手伝ってもらっている身にもかかわらず、やれ詰め方がどうだのセンスがないだのヤスシに指図していた。終盤あたりはザリガニさんも眠くなったのか、クッソ適当にモノを詰めていた。
そんなこんなでリョウくんが車で到着した。朝6時に迎えに来る予定だったが、リョウくんは警察の検問に引っかかって職質をされていたらしく、結局6時半くらいに来た。リョウくん...。
寝れないし準備もそこそこだし遅刻もしそうだし。すでに調子が狂っていた。こんなんで大丈夫なんかね。絶対なんか忘れ物あるって。もういいっしょ。死にやしないし。4人はそんな会話を交わしながら、リョウくんの車で成田空港へ向かった。
まずはアメリカだ。
つづく...
*次の話はこちら。
どの国で何をするか?を考える楽しさ。
世界一周の旅を物語風につづる第二弾は、旅への準備をしている時のお話。
旅は、準備の時から始まっている。
*前回の話はこちら。
旅に出ると決めたはいいものの、何を準備したらいいかイマイチよくわからなかった。
手始めに世界一周航空券について詳細を把握し、行く国やそのルートを決めることにした。
ネットで見るかぎり、世界一周航空券にはいくつか種類があった。移動距離(マイレージ)の上限で周遊ルートを決めるもの、通過可能な大陸数でルートを決めるもの。価格帯も何段階かに分かれていて、やはり滞在国が増えれば増えるほど金額は高くなる。とにかく細かいルールと制約が多すぎたので、僕らの脳みそでは仕組みを理解することができず、2時間ほどで飽きてしまっていた。
ザリガニさんはもはや思考さえも逸脱していらっしゃったようで、アメリカに行ったらプレステのグランドセフトオートに出てくるような路上のホットドック屋さんでいかに自分が本物のホットドッグを貪りたいかを熱弁していた。
あぁ、あの車で突っ込んで吹っとばせるヤツね。
埒があかないので、とりあえず世界一周航空券を取り扱う新宿のJTBのカウンターへ行って聞いちまえってことで2人で訪ねてみた。
その支店はガラガラだったが、あまり世界一周航空券という商品を扱う機会がないんだろうか。しばらく待たされることとなった。やがて色白で顔色の悪いガチムチお兄さんが担当についた。昨日飲みすぎで寝てないのか、筋トレとプロテインのことばっかり考えてしまって仕事に身が入らないのかわからないが、まるで仮そめの世界に堕とされたかのようにボーッとしていた。挨拶をしただけでやる気がないのが伝わってきたので、憎しみとわずかの親しみを込めてガチホワイト(以下、GW)と名付けることにした。
2人:「こんちわっす。世界一周航空券について知りたいんですけど...。」
GW:「チケットの種類はどっちですか?ワンワールドですか?スターアライアンスですか?」
2人:「どっちが良いんですかね?」
GW:「それは行きたい国によりますよ。どこに行きたいんですか?」
2人:「アメリカ、南米、ヨーロッパ、中東、アジアあたりなんですが、まだ国が決まってないんすよ、どの国がルートに組み込めるかも正しく理解できてるかわからないですし。」
ガチホワイトは面倒くさそうにPCのモニター上で世界地図を開いて見せ、ざっくりと通過できる大陸や都市を説明してきた。しかしそれは、インターネットにあった情報以上でも以下でもなくて全く参考にならなかった。僕らの質問の仕方が悪いのかな?よし、聞き方を変えてみよう。
2人:「人気な国とかオススメの国とかありますか?他のみなさんが辿るお決まりルート例なんかありますか?」
GW:「うーん。お客様によりますね。」
2人:「な、なるほど...。」
結局、JTBは何にも知らないのよね。ガチホワイトは世界一周航空券の仕組みは知っているが、世界一周をしたこともなければ諸外国の事情もあまり知らないのだ。そうだよね。だいたい筋トレとプロテインのことしか考えてないもんね。あなたにとってはゴールドジムでのワークアウトが現実世界で、僕らの旅行の話は仮の世界で起きてることだもんね。すいませんね。
結局のところ「世界一周航空券についてはネットとガイドブックの情報がすべてである」ということだけしかわからなかった。まぁそんなものだろう。自由度が高い旅だからこそ誰も詳しくアドバイスはできないし、僕らの計画プランも難しくなってくるのだ。どの国に行くか、行った先で何を見るか、無事に生きて楽しめるかどうかは全部僕ら次第。とりあえずひと通り決めてしまって、あとは心の赴くまま自由にカスタマイズしていけばいい。
そのあと2人でルートを決めた。事前にエクセルで作成していた"行きたい国リスト"の半分くらいしか行けないということがわかったが、1年という限られた時間で地球を一周しなければならない以上仕方がない。最終的には、周遊ルートは地球を東回りに、地理的に日本からは気軽に行けないアメリカ、メキシコ、イースター島は外さずに、いつか社会人になった時にはいつでもいける東南アジア諸国は切り捨てる。そんな周路を描いて行った。
ルートが決まったら、次はエクセルで詳細な予算計画書をつくった。予算はバイトと親からの借金で工面する予定だったが、合わせても100万円が限度であろう。100万円で世界一周をするためには、どの国に何日滞在すれば良いのかを、各国の物価、1日の生活費、観光に必要な経費から算出してしっかりと決めておく必要がある。インターネットの情報だけでは十分でなかったので、本屋で世界一周ガイドブックやバックーパッカー旅行関係の本を買い漁って、行きたい場所や見たいものを洗い出しまくった。
すごい、楽しみになってきていた。
これから経験することに比べたら、もはや就職活動なんてクソみたいなもんだ。みんなせいぜいリクルートスーツを着こなして、面接官に媚びでも売ってればいい。僕は世界のカオスを見に行きたい。世界中のぶっ飛んだヒッピー達と絡みたい。
逃げ道のために選んだ選択が、無性に面白そうに感じてきた。
つづく...
*次の話はこちら。
世界一周をする。というただの現実逃避。
僕が友人と2人で旅に出ることになったきっかけは、かなりよこしまな考えからであった。
大学3年生を終えようとしていた時期、周囲の「意識が高い系」たちは早くも本格的に就職活動に動いていた。そのころ僕とザリガニさんといえば、毎晩のように僕の部屋で決まってしょうもない話ばかりしていた。
ザリガニさんとは、僕と0歳から同じ保育園にいた腐れ縁。ある意味精子時代からの盟友。性格は真逆だが考えていることの大筋はだいたい似ている。この日も同じだった。
僕:「なんか就活してますね、みなさん。」
ザ:「そうっすねー。僕らもそろそろやんなきゃですよねー。」
ザリガニさんと僕が話すときは親友にもかかわらずいつも会話が敬語になる。たぶん昔わりとガチでハマったマルチ商法の活動でスーツを着て2人で仕事をしていた間に、仕事っぽいやりとりが自然になってしまったのだ。
僕:「おたくは、なんかやりたいことあるんですか?」
ザ:「特にないんスよね、というかそもそも社会人になりたくないんスよね。」
僕:「わかるっすねぇそれ。ふつうに働きたくないスよね。まあいつかは働かなきゃいけないのはわかってるんで、どうせだったら社会人として働く前になんか一つくらいは面白いことやっておきたいんスよね。」
ザ:「そうそう、なんかやっておきたいんスよ。ナンカ。」
こんなクズ同士の会話が繰り広げられていた訳だが、この日僕らが考えていたのはつまり『いよいよ就職のことを考えなきゃいけない時期になったけど全然働く気がないどうしよう?』ということだった。
大人になるとだいたいみんな自分たちの学生時代を卑下する。「学生時代は全然勉強せずに遊んでたなぁ。」とか、「バイトばっかで学校なんで全く行ってなかったなぁ。」とか。正直そんなそんな次元ではない。この時点で僕は1浪人、ザリガニさんは1留年。もう4年生になるというのに卒業単位の半分も達してない。
おまけに学生ローンATMやクレジットカードのATMは「勝手にお金が出てくるマシーン」だと思っていたので、日々金銭トラブルに見舞われては借金を抱え、バイトして稼いでは結局パチスロと酒に使って消えるという非生産的なサイクルの繰り返しだった。
この時点でたとえ就職活動をしても、「学生時代は金と時間を浪費することに心血を注いできました!!」としか面接官に向かって自信を持って言えないレベル。僕らには就職活動で企業にアピールできるネタの1つもなかったし、そもそもやりたいことなんて何にもなかった。
この間も、ついにザリガニさんの二回目の留年に王手ががかかり、飲食アルバイト先の控え室で頭を抱えながら絶望していた。しかしその姿は、昨年彼の一回目の留年が決まる時のものと全く同じ姿だった。なんなら発言も場所もポーズも完璧に同じだった。もはや狙ってんじゃないかと思った。それを見て、本人の気持ちはさておき僕は抱腹絶倒した。あのときほどデジャブを見たと錯覚したことは今のところ他に例はない。
僕:「じゃあさ、ザリガニさんは留学とかどうなの?」
ザ:「う〜ん、留学ねぇ。でも3年になっていきなり留学ってなんか就活のネタづくりみたいでカッコ悪くない?しかもたかだか一年留学したくらいで英語できますヅラなんでできる気がしませんよ。」
僕:「確かにねぇ、留学はねぇっすわ。すみません。」
そこから沈黙して、何か『この就活しなきゃいけませんムードから上手く逃げられる方法』はないものかと二人して考えていた。
僕といえば、留学だってする気はさらさらないし、かといってたとえ役に立つものでも勉強と名がつく事は面倒なので絶対にやりたくなかった(←やっぱりカス)。多少お金はかかったとしても「楽しくて、そこそこ自分のタメになって、この就活ムードから逃げても人に後ろ指を指されなさそうなもの」でなければならなかった。
この時ある案が浮かんだ。
大学1年の時に高橋歩の『LOVE&FREE』を読んで以来ずっと、こいつは面白い。と思っていたこと。世界一周の旅である。
格安の国際航空便が増え、スマホやSNSが普及して簡単に情報が収集できるようになった今では世界一周のハードルはだいぶ下がったが、当時ではまだ珍しい。
だからこそ、これを実行すれば1年くらいは大学生のまま時間を稼げる。1年もあれば、自分がやりたい仕事・向いてる仕事の選別なんて十分にできる。就職活動に間に合う。よしよし、スキマスキマ。
もはやそれくらいしか思いつくものはなかった。
僕:「ん〜。では世界一周しかないっすね。」
ザ:「世界一周かぁ。なるほど〜、その手があったんですね。でもできるんすかねそれ?」
僕:「わかんないすけど、歩もやってるからたぶんできんじゃないすかね。」
ザ:「調べしましょう。」
iPhone3Gが日本に上陸して間もない時期だったので、スマホなんて持っていない。
ザリガニさんは、僕がオンラインゲーム『マビノギ』をするためだけに買ったグラフィックカードの性能以外クソみたいに使えないSharpのノートパソコンで、いくらかの情報収集をしてくれた。
ザリガニさんは意外にもあっさり乗ってきた。というかむしろノリノリだった。意外にちょろかった。
やがてザリガニさんのキーボードカタカタ音が止み、次のようなことがわかった。
- ちょいちょい世界一周してる人たちはいるっぽい。
- 世界一周航空券というものがあり、先に旅行ルートとスケジュールを計画できる。
- 滞在国を選んで貧乏旅行をすれば、一年間で100万円以下の予算でいける。
僕:「あれ、全然できちゃうじゃん。」
ザ:「全然できそうっすね。」
僕:「じゃあ行っちゃいますか。」
ザ:「そっすね。行きましょ行きましょ。」
こうして僕らは自分たちの逃げ道として世界一周という道を選んだのです。
つづく...
*次の話はこちら。
※最終更新2018年3月1日
海外放浪した話をブログで書く。
今から6年前、大学3年生の時に世界一周の旅に出た。
周囲が就職活動に全力モードに突入している中、僕があえて旅に出た理由は、「マジで社会人になりたくなかった」から。
今風に言うとモラトリアム期間が欲しかったのです。わかりやすく言えば、もっと遊んでいたかったんですよね。
約1年間かけて世界を周って22か国程を訪れたが、実はこれまで身近な友人以外に旅の話を詳しく語ったことはない。
今回、このブログで自分の海外放浪体験を物語調に語りたいと思ってる。誰が興味を持つのかは知らない。
僕自身も、旅なんてものは単なる自己満活動だと思っている。
海外を何十か国と訪れて、世界遺産がすごいとか景色が綺麗だとか、雑誌やブログの写真で観れる"モノ"について語ったところで、その場所に行ったこともない人からすれば共感のしようがないからたいして面白くもない。だから僕の場合は自分の"体験"をベースにしたものとしたい。
念のため、すべての話は事実を面白おかしく脚色したものであり、あくまでフィクションであると言っておきます。いろんなやんちゃ話も入ってきちゃうので・・。
不定期更新にはなりますが、頑張って続けていきます。
*2018年3月1日最終更新
放浪の話はこちらから始まります。